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池袋駅近くの法明寺の蕣塚(あさがおづか)で弔われている戸張富久

JR池袋駅東口から徒歩15分ほどのところに、法明寺というお寺がある。駅前の喧騒を忘れさせる、静寂に満ちた山門をくぐると、右側に、「蕣塚(あさがおづか)」と呼ばれる、高さ146cm、下幅115cmの、石造りの塚が目に留まる。

塚の表には、「蕣や 久理可羅龍乃 やさ須か多(あさがおや くりから龍の やさすがた) 富久」と彫られ、左脇にアサガオが彫られている。

この塚は、恐らくは故人を弔い、讃えるためであろうか、江戸時代後期における「雑司ヶ谷文化」の担い手の一人であった戸張富久(とばりとみひさ、喜惣次または喜三治と称し、松盛齋と号する。?〜1825)の弟子、秋山千藏によって、富久の死の翌年に建てられたものだ。

池袋駅近くの法明寺の蕣塚(あさがおづか)で弔われている戸張富久

金工師で、俳句を嗜む文化人でもあった戸張富久

金工師で、俳句を嗜む文化人でもあった戸張富久

戸張富久(とばりとみひさ)は、現存する作品は極めて少ないものの、刀装界の名門・京橋後藤家13代延乗(光孝)の弟子で、多くの大名や武士に愛された、精緻な刀の柄や鐔(つば)を製作した高名な金工師だった。それに加え、俳句を嗜む「文化人」でもあった。それゆえ、江戸琳派の祖と言われる絵師であり俳人でもあった酒井抱一(さかいほういつ、1761〜1829)や蜀山人と号した文人・狂歌師の大田南畝(おおたなんぽ、1749〜1823)とも親しい間柄だった。そうした縁から、富久の句に添えられたアサガオは、酒井抱一が描いたものだ。それは、富久がつくった作品の中で、刀の柄にアサガオを彫っていたものが武士たちに人気があったことに由来していると考えられている。

戸張富久の家は藪そばの発祥の生家だった

しかも現在、東京のいたるところにある「藪(やぶ)そば」のお店だが、その発祥は、富久の家が生業としていたものだと言われている。俳人の堤亭が選んだ句集『種おろし』(1781)の中で紹介されている安永年間(1772〜81)の「はやり物目録」の中に、「蕎麦切(そばきり)」として、「長道正直・駒形正直・新吉原鶴瓶・深川州崎笊(ざる)そば・浅草道好庵・堺町福山・牛島長命寺・雑司ヶ谷籔(やぶ)の中」と8軒挙げているうちの1軒に名を連ねている。また、知己の大田南畝が富久を詠んだ狂歌に「見渡せば 麦の青葉に藪のそば きつね狸も ここへ喜惣次(きそうじ)」というものもある。こうしたことから、歌川広重(1797〜1858)が描いた『江戸高名会亭尽』の「雑司ヶ谷」に描かれた料亭「茗荷(みょうが)屋」同様、法明寺やその飛地境内に位置する鬼子母神(きしもじん)堂周辺の茶屋や料理屋で、当時の「文化人」たちが交流を深めていたこともうかがい知れる。

戸張富久が残した俳句

このような富久が残した句は、鉢植えのアサガオの蔓が添え木に巻きついている様子を詠んだものであるが、「やさ姿」の「やさ」は「優(やさ)」。物事が静かで柔和であり、上品、そして風流な感じを指す。そして「くりから」とは、サンスクリット語のkulikarajaの音写で、「倶利伽羅龍王(りゅうおう)」を意味する。そしてそれは、「俱利伽羅不動」のことだ。つまり、不動明王の化身、または変相とされる。姿は剣を呑む龍の姿をなしている。それはもともと、不動明王の持物(じぶつ、アトリビュート)である剣と羂索(けんさく、五色の糸を撚り合わせてつくった縄)を合わせたものと言われ、火焔に包まれながら大きな岩の上に立つよく斬れる剣に絡みつき、その剣を呑む形をしている。不動明王の名剣が変じて、「倶利伽羅龍王」となったことを示し、『倶利伽羅龍王陀羅尼経』などにその功徳が説かれている。

「劔の局」にまつわる伝承

また「倶利伽羅劔(つるぎ)」に関しては、『大日本刀劔史』(1938)を著した日本刀研究家の原田道寛(みちひろ)が、「平家にあらずんば人にあらず」とまで褒めそやされていた平氏一門の栄枯盛衰と一生を共にした「劔の局」(?〜1185?)にまつわる伝承を紹介している。

「劔の局」とは、太宰権大典・惟宗広言(これむねひろこと、1132〜1189)の娘だった。平清盛(1118〜1181)の娘、中宮徳子(後の建礼門院、1155〜1213)が後の安徳天皇(1178〜1185)を産んだ際、宮中で盛大な祝いごとが延々と行われていた。管弦歌舞、絵合せ、扇合わせなどの宴にも人々がだんだん飽きてきた頃、徳子の兄である平知盛(1152〜1185)が従者を2人従えて、登場した。知盛は唐櫃(からびつ)を携えており、その中にあるものを隠している。そのあるものが何であるか、昔の歌人が詠んだ歌を短冊に書いて、当たった者に中身を褒美として取らせると言った。人々は「綿」「黄金」「鏡」「玉」などが詠まれた歌を挙げたが、当たらない。そんな中、一座の隅にいた惟宗の娘が、『萬葉集』(759年以降成立)巻第16、3833、穂積皇子の子、境部王(さかいべのおおきみ、生没年不明)が詠んだ歌は以下を短冊に書いていた。

    虎に乗り 古屋(ふるや)を越(へ)て青淵(あおぶち)に 蛟龍(みずち)
    捕り来(こ)む 劔大刀(つるぎたち)もが
    (虎に乗って、古びた家を越えて、青々と水を湛えた深い淵に行き、蛟龍(龍
    に似た想像上の生き物)を捕って来ることができるような劔大刀がないものか)

驚いた知盛と重盛

その場にいた知盛はもちろんのこと、清盛の嫡子であった重盛(1138〜1179)も驚いてしまった。娘に尋ねたところ、前夜、蒼い龍が劔に巻きついているのを夢に見ていたという。目覚めた後、その龍のことを考えめぐらしていたところ、自分が太宰府の父の元にいた幼い頃、父が新しく作らせた大刀に彫りつけてあった「倶利伽羅龍」と全く同じだったことを思い出した。その大刀は、源正房(生没年不明)がつくったものだった。もともと北国の武士であった正房は、保元平治の乱(保元の乱 1156年、平治の乱 1160年)の際、世を儚んで出家し、山野を修行した。そして豊前(現・福岡県東部)と豊後(現・大分県北部)にまたがる英彦山(ひこさん)で、修験者の学頭となった。その上、すばらしい刀を鋳造しているという。そのことを武具に強く心を寄せていた父が聞きつけ、わざわざ人を遣わしてつくらせたものだった。刀の銘は賢聖坊と刻印され、源正房の本名を隠していた。そして鐔(つば)から3、4寸ほどのところに、劔に巻きついた龍の彫り物があった。その龍の勢いは生きているようで、それを見た当時、幼心に見事な彫り物だと思っていた。今日の催しの際は、何の考えもなく、劔の歌を短冊に書いたという。

劔の局と呼ばれるようになった所以

この話を聞いた高倉天皇(1161〜1181)はとても驚き、そして喜んで、娘に唐櫃の中の劔の他に多くの褒美を取らせた。長じて娘は、「劔の局」と呼ばれるようになった。しかし局は、平家一門が都を逃れ、元暦2(1185)年に壇ノ浦(だんのうら)まで追い詰められたときも、安徳天皇の側近く仕えていたことから、海の藻屑と消えてしまったという。

原田はこの話の締めくくりに、「倶利伽羅龍」の大刀をつくった源正房は、当時の名工とされた「豊後の定秀(じょうしゅう、平安後期〜鎌倉時代)」のことで、もともと英彦山三千坊の学頭だったが、仁平2(1152)年、32歳の時に劔工に転じたと伝えられていることを挙げている。しかし「32歳」という年齢は、「学頭」になるには若過ぎ、「劔工」となるには歳を取り過ぎていることから、「劔の局」の言い伝えの方が真実に近いのではないか、と推察している。

戸張富久の思惑とは?

これらのことを踏まえ、富久の句の意味を推察する。アサガオの蔓が添え木に巻きついている様子に富久は、「気品」「優雅」ばかりではなく、「倶利伽羅龍王」が持つ、名剣と言われる剣を呑み込み、さらに世を惑わす魔や悪縁を封じ込めるほどの強大な力を見出していたのかもしれない。富久の作品の中に、海上を蠢く巨大な龍に対して、鎧姿の戦国武者が矢を射かけている様子を彫った小柄(こずか)がある。名工であった富久が「倶利伽羅龍王」や「倶利伽羅劔」の伝承を踏まえて、刀剣の細工ばかりではなく、俳句の中にも「くりから龍」と、自身が得意なアサガオのモチーフと重ね合わせ、俳句となしたのではないだろうか。

しかも富久と同時代を生きた、浮世絵師・歌川国芳(1798〜1861)が残した作品に、背中一面に「倶利伽羅龍王」の図柄を彫り、「倶利伽羅紋紋(もんもん)」と称された、いなせな江戸の男意気を表象する刺青を入れた男たちを描いた浮世絵が数多くある。富久自身が刺青を入れていたか否かはともかく、富久が生きた時代には、そのような男たちの「ありよう」が「美」「粋」と見なされていたことは事実である。富久がそうした男たちに強いシンパシーを抱き、俳句の中に含み込ませていた可能性は捨てきれない。

最期に…

筆者の推察を裏づける、或いは否定するような、富久自身の手による日記・手記のようなものは、今現在、発見されていない。しかし1mちょっとの大きさの塚が寺に置かれ続けてきたということは、当時の戸張家の富裕さばかりではなく、富久自身の人柄、そして「残したもの」のすばらしさを、平成の今もなお、あかしするものである。昨今は主に若者世代を中心として、空前の「刀剣ブーム」と言われている。美術館や博物館に残る多くの「名刀」をつくった人々について、今後さらに掘り起こされることだろう。その折に「雑司ヶ谷文化」の担い手だった戸張富久が再検証されることを、筆者は切に祈る。それこそが富久に対する、最大の供養になるからである。

参考文献

■小倉惣右衛門・松谷豊次郎・日野雄太郎(編)『刀剣金工名作集 第5 江戸金工』1936年 雄山閣
■原田道寛『大日本刀劔史 上巻』1938年 春秋出版
■中村新太郎『富士百鐔』1942年 昭森社
■海老沢了之介『新編 若葉の梢 江戸西北郊郷土誌』1958年 新編若葉の梢刊行会
■東京都豊島区教育委員会(編・刊)『豊島あちらこちら 文化財資料を探る 第1集』1970年
■林英夫・東京にふる里をつくる会(編)『東京ふる里文庫 3 豊島区の歴史』1977年 名著出版
■松村明・今泉忠義・守随憲治(編)『古語辞典』1960/1969/1975/1981/1982年 旺文社
■中村元(編)『図説佛教語大辞典』1988年 東京書籍
■伊藤栄洪・堀切康司(編)『東京史跡ガイド 16 豊島区史跡散歩』1994年 学生社
■小島憲之・木下正俊・東野治之(校注・訳)『新編 日本古典全集 9 萬葉集 4 巻第15〜巻第20』1996年 小学館
■大島建彦・薗田稔・圭室文雄・山本節(編)『日本の神仏の事典』2001年 大修館書店
■佐々木文彦「倶利伽羅紋紋」山口佳紀(編)『暮らしのことば 新語源辞典』2008年(311頁) 講談社
■塚田素子「蕣塚・戸張富久について」渡邊明義(編)『地域と文化財:ボランティア活動と文化財保護』2013年(317–320頁)勉誠出版
■威光山法明寺 近江正典(編)『雑司ヶ谷鬼子母神堂開堂三百五十年・重要文化財指定記念 雑司ヶ谷鬼子母神堂』 2016年 勉誠出版
雑司が谷鬼子母神
威光山法明

ライター

鳥飼かおる

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