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亡くなった大杉漣さんの生前の言動と、そこから読み解く死生観

2月21日、俳優の大杉漣さんが急性心不全のため亡くなった。享年66、俳優人生もまだまだこれからといったところだった。

大杉さんは1月中頃にとある番組の海外ロケに参加していた。完成したVTRは後に番組の中で本人に見せられる予定だったという。3月初頭、そのVTRが番組内で放映された。そこには自らの死生観を少しだけ明かす大杉さんがいた。


転機となったソナチネ

大杉漣さんは1951年に徳島県小松島市にて生まれた。4人兄弟の末っ子で、大学を中退し太田省吾さんの劇団に研修生として採用された。

長く厳しい下積み時代を終え、40歳代に入ってから北野武監督による映画『ソナチネ』(1993年)のオーディションに合格し、俳優として転機を迎える。以降、多くの映画やテレビドラマへの出演を果たし、その名前は世間に広く認知されていった。

しかし先日2月20日、ドラマの撮影を終えた大杉漣さんが共演者たちとの食事を終えたのちに容体が急変。救急病院についたときにはすでに重体であり、そのまま帰ることはなかった。66歳、あまりにも突然で、あまりにも早い最期であった。


太田省吾さんについて――劇団「転形劇場」主宰の死に寄せて

役者としての大杉漣さんが強く影響を受けた人物の一人に、先述した太田省吾さんがいる。
太田さんは劇作家、演出家であり、「転形劇場」の劇団主宰であった。1988年には劇団を解散するが(その際に大杉さんも立ち会っている)、その後には近畿大学教授を経て京都造形芸術大学教授となった。
太田氏は2007年、肺がんのために67歳で逝去した。

冒頭で述べたVTRの中で、大杉さんは太田さんが亡くなったことについて振り返り、自分の死についての考えを少しだけ述べた。

「いつか、僕もそういう身では すごくリアルに考えなくちゃいけない『死』というものがある」
「死にたくないとも思わないし、かと言って、死にたいとも思わない」
「死ぬっていうことが分かっているだけであって、死ぬまでの間に俳優としてどれだけできるかということはわからない」

収録時に、劇団主宰の没年と同い年になろうとしていうことについてだった。


『足るを知る』――大杉さんの生きざまを思う

大杉さんの遺作となったテレビドラマの中で、大杉さん直筆の書が映されるシーンがある。そこには赤い『漣』の印とともに、こう書かれているのだ。

「足ルヲ知ル」

これはもともと老子の言葉で、「身分相応に満足すること」「身の程をわきまえ、むやみに不満を持たないこと」という意味である。
この書が映されるシーンは大杉さんの死後、追加で撮影されたものであるという。スタッフは何を思って、ただの美術道具であるこの書を取り入れたのか。

先ほどの言葉や この『足るを知る』という言葉には、大杉さんの生き方や死生観が如実に表れていると考えられるだろう。
常に自分に与えられた仕事を全うし、いつか来る終わりを受け入れながらも、そこに向かって着実に一歩ずつ進んでいく。そんな意志が筆者には感じられるのである。
長い下積み時代を経て、大杉氏が得たのは このように地に足をつけ、仕事との一期一会を「責任を持って楽しむ」というようなことではないだろうか。


最期に…

あまりにも突然であった。あまりにも惜しい人を亡くしたと思う。それでもきっと大杉さん本人が 死んだことを悔しがることはないのであろう。彼は『足るを知る』ことを知っていたのだし、何より、それほど大切に一日一日を生きていたのだろうから。


ライターM.M
ファイナルファンタジー XIV 光のお父さん

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