最近、友人がお父様の葬儀を済まされた。90歳近い大往生だったということで、ほとんど苦しむこともなく逝かれたとのこと。そして、葬儀はほとんど近親者のみの家族葬を選ばれたそうだ。彼女は、ほとんど身内だけの家族葬は気兼ねがなく色々な意味で楽だったと、家族葬を非常に高く評価していた。
高齢者であればあるほど、自然と身内や知人の数も減っていく
亡くなる方が高齢であればあるほど、身内や知人の数も減っていく。通夜や葬儀に人を集めようと思っても、生き残っている知り合いもわずかになっているのが現実なのだろう。さらに、核家族化が進展してきた現在、地域社会の中の人々の縦横のつながりも希薄になっている。これらが、小ぢんまりした家族葬形式の葬儀を指向する要因であるのは間違いないだろう。
年に一度の年賀状だけのやり取りのみという関係性の知人
家族葬で葬儀を執りおこなうからには、おのずと声をかける人の数も限られる。亡くなった人が年賀状などを通して付き合いを続けていた「その他大勢」の人達にまで、情報を伝えることはほとんどないのではないだろうか。そして、これらの「その他大勢」の中にはお互いに遠く離れてしまったけれど、賀状やメールなどで情報交換したり友情を温めたりしている人間関係もあることだろう。
「あれ、今年は年賀状こなかったな」と思ったら…
ここ3,4年の傾向なのだが、2年ほど賀状が来ないと思っていたら、3年目に奥様から「2年前に他界しました」という丁寧なご挨拶がしたためられた賀状が来て亡くなったことを知るということが増えていて、このように知らないうちにお亡くなりになっていた友人、知人が少なくとも数人いるのだ。こんな風に、友人や知人が、私たちの知らないうちに他界しているというのは、正直、ショックだし、寂しい。私の親戚や知り合いの中には、一人暮らしの人が何人もいる。今は、曲りなりに年賀状や暑中見舞いなどで、コンタクトがとれているが、彼らが亡くなったら誰が知らせてくれるのだろう?
訃報を周知する仕組みも必要?
大げさな葬儀ではなく、小規模な家族葬を指向する傾向はこれからも続くのだろう。家族の負担などを考えても、それは、それでよいと思う。しかし、後日、何らかの方法で知り合いに周知してもらう仕組みも必要なのではないだろうか。エンディングノートなどに、自分の死を知らせてほしい人のリストを記している人もいらっしゃるだろうが、すべての人がそうしている訳ではないだろう。だから、葬儀社などが、葬儀後に、亡くなったことをお知らせする人に通知などを発送するサービスを行うといったことを考えてもよいのかもしれない。このようなサービスは既に存在するかもしれないが、私はあまり見聞きしたことがない。
昔の仲間や、人生のひとときを共有した人たちが、知らないうちに、煙のようにいなくなっているというのはあまりに悲しい。