運転中に7割の人が考え事をしているという調査結果がある。たいていはお昼ご飯何にしようかとか他愛のないことだが、それでも運転に集中できなくなる要素に違いはない。それが、身内が亡くなって通夜や葬儀に出かける際だったとしたら、深い悲しみで思いは千々に乱れて、なおさら運転に集中できないだろうことは想像に難くない。車は便利だけれど、誰しも絶対に運転してはならない局面がある。その筆頭はおそらく近親者が亡くなって精神的に動揺しているときだろう。
運転免許更新の際の講師の話
何年も前だが心に残っている免許証の更新の優良者講習会の時の講話を紹介したい。
「つい最近、近隣の管内で起こった悲惨な事故の話をします。かわいそうに、おっかさんは一度に3つの葬式をあげなければならなかったんだよ。こんな悲惨なことはないね。」と、優良ドライバー講習の初老の担当者が茨城弁で話し始めた。
私は不真面目にも「講習の30分が早く過ぎれば良いのに」としか考えてなくて、気もそぞろだったのだが、「最近の事故」と聞いて、新聞やテレビのニュースでそんな事故が最近報じられていたかしらと記憶を探り始めた。要は、少し関心を持ったのだ。そして更に講師は続けた。
子供が亡くなったと連絡を受けた家族は急いで車で警察に向かったが…
「近隣のある街で若い男性が車同士の衝突で亡くなった。11月の雨が降る夜半のことだったそうだ。管轄の警察から、その男性の実家に夜中の12時過ぎに連絡が入った。実家では、長男が両親と同居していた。長男と父親がとるものもとりあいず、40kmほど離れた隣町の警察まで車で出かけたのだが、途中で大型トラックと衝突して2人とも帰らぬ人となってしまった。息子さんたちは、まだ20代で未婚。父さんもまだバリバリ現役の働き手だったんだよ。残されたおっかさんの悲しみと絶望は如何ばかりか。想像つくけ?」
運転どころではなくなる
「だがら、こういう生死に関わるような一大事の時には、運転しちゃなんねえの。わがるか?どうしてか、わがるか?当たり前のことだけど、泣いたり、悲しんだり、心配したり、いろーんな事考えて、運転に集中でぎねえってこと。だから、こういう時には知人に運転してもらうとか、タクシーを呼ぶとかして、とにかく渦中の本人たちは運転してはいげねんだ。夜中だから友達に迷惑かけたくないとか、金かかるからみたいなことをあーたらこーたら考えてはダメだよ。命より大事なものはあんめ?」
強い北茨城訛りの語りが、胸にしみた。
飲酒や体調不良で運転してはならないのと同様に、正常な判断ができそうにない時は運転を控えるべき
講師は、「法律で厳重に禁止されているから飲酒運転をしてはいけないのは当然で、ほとんどの人は遵守する。同様に、家族の死や病気などの心配で心をかき乱されている時も、気が動転していて飲酒と同じくらい運転が不注意で散漫になるから、そんなときは絶対に自分で運転していこうと考えないでほしい」と結んだ。
アルコールが入っていなくても、それ以上に判断力が落ちることがある。それが、家族の死などの大きな精神的な動揺によって引き起こされるということに気づかされた。講習を実施する交通安全協会には申し訳ないけれど、優良者講習では30分間を何とか我慢して、早く帰りたいというオーラが講習室内を漂っていることが多いが、この講師の話を多くの人が集中して聞いていた。
最後に…
公共交通機関による移動手段が乏しく、どこへいくにも何をするにも車に依存しがちな地方では、車依存というよりは「自分で運転すること」がデフォルトになっている。「自分で運転すること」が習慣化してしまっているとも言えるかもしれない。近親者が亡くなった時には、自らハンドルを握らないということを肝に銘じたほうが良いのではないだろうか。葬儀社などから差し向けられた車で連れて行って頂くのがベスト。それが可能でなければ、知人、友人の力を借りよう。