「村八分」というしきたりが、昔のムラ社会には存在した。それは、おそらく現在でもムラ社会の名残が色濃く残る古い山村、漁村ではまだかろうじて生き残っているとみられる。しかし、都市が膨張し、日本の人口の8割以上が都市生活者となった昨今、現実味は薄れて、多くの人にとってはほとんど実感がわかないのではないだろうか。しかしながら、コミュニティからはじかれて、「シカト」されるという意味合いで、都市部でもその言葉自体はまだ使われている。
村八分とは?
村八分とは何か?生きていれば120歳を超えるだろう祖母からの受け売りなのだが、ムラ全体で決めた掟にある一家が従わなかったり、その家から犯罪者が出たりすると、ムラが執り行う互助的な行事や祭りへの参加を禁止され、村人もその一家との付き合いを基本的に断つことを指す。つまり、8割の付き合いを断つということである。ムラの共有財産として利用を厳しく制限されている山林から勝手に収穫したりしても、村八分になることもあったようだ。残りの二分、つまり火事と葬式の時には手を貸してやるということになっていたそうだ。本当に大変な時には温情をもって手助けするのかというと、さにあらず。火事が延焼したら自分たちの生命や財産が危うくなるし、誰かが死んで死体の処理にてこずったり放置されたりしたら、感染症の危険が高くなり自分たちの命が危険にさらされてしまう。だから、二分の手助けとは博愛主義に根ざしたものからは、ほど遠い現実的な対応だったらしい。
ムラ社会では、人々は田畑を耕したり、収穫したりするときにお互い力を貸して助け合ってきた。お互いの力が必要不可欠だったからこそ、ムラの中の干渉、陰口や陰湿ないじめ、地主や庄屋の横暴、理不尽な掟などなど諸々のしがらみを我慢してきたのだろう。
火事は特別人の手を借りる必要がなくなったが…
経済の発展とともに、助け合いなしには成立しないムラ社会から都市へと、人々は仕事を求めて出奔していった。それはまた、面倒くさく、鬱陶しく、ある時には苦痛になる人間関係の心理的な重苦しさから多くの人々を解放した側面があり、現代社会を特徴づける大きな要素だろう。このような気楽さは、ひとつには、都市は、多くの人が力を合わせなければならない肉体労働中心の経済システムを中心に成り立つものではないことに由来するのは明らかだろう。重労働は機械が肩代わりし、買い付けなどの取引もPCの画面上で完結する。行政サービスや様々なインフラ整備が、人々の間の直接的な助け合いをかなりの部分肩代わりするようになった。火災が発生すれば、通報を受けた消防隊が駆けつける。鎮火したり、延焼を食い止めたり、怪我人を搬送したりするのは、消防士や救急隊の仕事であって、隣近所の住人は直接的に消火に携わることはほとんどない。
良きにつけ悪しきにつけ、前述のような理由で都市では人間関係は明らかに希薄になっている。これは誰しも認めるところだろう。同時にそれは、都市生活者は自分自身と自然と心理的に切り離してきたということでもあろう。
葬儀は衛生上の問題からそうはいかない
忘れてならないのは、人間はほかの多くの生物と同様、生き物であるということ。そして、死ぬということ。問題は、その先だ。人と人のつながりが希薄になった都市で、近年増えているのは孤独死。高齢者の単身世帯の急増は孤独死の増加に拍車をかけているといわれる。お亡くなりになったことに誰も気づかれずに数週間、数か月、時にはもっとずっと後にご遺体が発見されるケースが増えている。お気の毒なことだけれど、それよりもっと深刻なのは、重篤な感染症につながりかねない微生物の拡散の危険性が増大することだ。
下水道の完備などの都市インフラの整備や医学や衛生管理の進歩によって、近代化された都市では様々な疾病を封じ込めてきた近代的な社会で、皮肉にも孤独死という形で害虫や病原体の爆発的な増加の危険性をつきつけられている。だから、しがらみや重たい人間関係がない都会でも村十分で平気で過ごせるわけではない。人間が生き物である以上、その死を適切に「処理」するためにも、一分(いちぶ)の人との関わりを温存し、再構築していかなければならない。だから、互いの無事を確認しあい、看取り、亡くなられた時には丁重かつ迅速に葬送して差し上げることだけは最低限、必要なのだ。