1990年代以降、日本で執り行われる葬式の規模はどんどん縮小している。大きな斎場を借りることなく、自宅で遺族や親族のみで執り行う家族葬の広がりも、葬式の小規模化や少子高齢化を表している現象だと言えるだろう。
そんな中、葬式に「喪主がいない」という現象も、あまり珍しくなく起こっている。一体どういうことなのだろうか? 近年急増している「喪主なし葬儀」の裏には、「孤独葬」という言葉があった。
「孤独葬」とは? 孤独死との関係は?
「孤独葬」という言葉から連想されるのは、やはり「孤独死」だろう。もう今やすっかり慣れてしまった言葉だ。
孤独死とは、主にひとり暮らしの人が、誰にも看取られることなく 自宅などでひっそりと死亡していることを言う。発見が遅れることも珍しくはなく、誰にも助けを求めることも出来ずに命を落としているという話は聞いていて胸が痛くなる。
「孤独葬」というのは、名前から孤独死した人を対象にするのではないかと考えられるが、その限りではない。長野県に本社を置くとある葬儀社が、新たに葬祭ホールの建設を進めるにあたり「孤独葬サポートプラン」なるものの提供を目指している。そこでは「孤独葬」を「喪主のいないお葬式」として指している。
身寄りがない方の死、死後の世話を拒否する親族などが増加
孤独死に限らず、近年は 身寄りのない人の死、また親族が遺体の引き取り拒否をすることによって「喪主がいない状態での葬式」が増加している。喪主がいない場合、故人が住んでいた介護施設や、町の自治体などに任せきりとなることが多い。東京都内では既によく知られるようになってきつつあるが、これらの葬式は主に火葬だけを執り行い、基本的には無宗教葬として進められる。
これまでの孤独葬の手配においては、個人や自治体に 各手続きなどで大きな負担がかかっていたそれらの負担を軽減し、また以前よりも楽に孤独葬を行う制度をサポートしようとするのが目的である。
葬儀のビジネス化? 日本における葬式の意義とは
さてこの孤独葬プラン、現状と照らし合わせるとずいぶん需要がありそうである。依然として日本の少子高齢化に歯止めはかかりそうにもなく、主に大都市においては核家族化や 若者・高齢者を問わないひとり暮らしの増加が進むだろう。孤独死の増加は現在大きな社会問題であるが、身寄りのいない人の葬式も同様に人々を悩ませている。そんな中で個人の負担を減らし、孤独葬をプランとして提供するサービスは必要であるとも言える。
近年急速に起こりつつある葬儀の縮小化や形態の変化は、日本の社会の変化の結果であると言えばそれまでであるが、どうしても「ビジネス・サービスとしての葬儀」という感覚が否めない。もちろん葬祭業者が時代に見合ったプランを提供しようとするのは至極全うなことで、変わっているのは主にサービスを受ける側かもしれない。
死者が安らかに眠れるよう祈り、生前の感謝を告げてお別れを告げるための葬式はその意味を少しずつ薄めていき、遺族の効率や負担の少なさに重きを置くパックとしての葬式が台頭していく。それは全く間違っていることではないが、ここまで急速に形態を変えていく葬儀の在り方は、現代における日本社会の問題を忠実に反映しているように思えてならない。
最後に…
ヨーロッパにおける他の先進国においては、ボランティアによる見回りなど 何かしら孤独死への対策がとられているようだ。特に日本は他国と比べ、年長者のコミュニティ参加の頻度は低い。
一人で亡くなってしまった「後」のケアが充実していく一方で、どうにかして「前」のケアは出来ないものだろうか。それによっては、今後の葬儀の形もまた別のものへ変わっていくかもしれない。
葬式は「現代人のニーズに合ったプラン」を新たに提供していく中で、今の日本全体が抱える病をひっそりと映し出しているのかもしれない。