「辞世」とは、もともとの意味は この世に別れを告げることだ。そこから転じて、人が間もなく亡くなってこの世を去るというときに、作ったり詠んだりする 和歌や漢詩といった作品のことをさすようになった。
昔の偉人や戦国武将などが遺す「辞世の句」の中には有名なものもたくさんある。死の床において自分の人生を振り返った辞世の句の世界に少しだけ触れてみよう。
そもそも「辞世」とは?
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢」
おそらく日本で最も有名な辞世の句のひとつ、豊臣秀吉の短歌を引用した。その意味は「露のようにこの世に生まれ落ちて、やがて露のように儚く消えてしまった この自分の身であるなあ。浪速(大阪)で過ごしたきらびやかな日々も、夢の中の さらにまた夢のように儚いものであった」というものだ。天下を統一し栄華を誇った秀吉も、死の間際となって 人生が夢のように儚いものであることをしみじみと感じたのだろう。
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
こちらは同じく有名であろう 松尾芭蕉の発句だ。一般的な解釈としては「旅の道中で病にかかった身であるが、夢の中ではまだ枯野を駆け回っている」となろう。旅を続けたい意志がありながらも 病にかかってそれが出来ない芭蕉の悲壮な気持ちが句から読み取れる。
日本で「辞世」というと、死ぬ間際に作る和歌という印象が強いだろうが、実際には必ずしも五・七・五、もとい五・七・五・七・七の詩である必要はない。前述したように漢詩の辞世も作られたし、極論を言ってしまえば、死ぬ前に最期に拵えられた作品なら 広い意味で全て辞世となる。
日本においては特に中世以降、文人の末期や武士の切腹に際して ほとんど必須とも言える習いまで発展した。最も多く作られたのが和歌であり、江戸時代に入ると 狂歌や発句に移り変わっていった。「辞世文学」と呼ばれるジャンルも現れ、むしろ軽みを持って自らの死を描き、その裏側に深いものを感じさせるというような繊細な文学作品として扱われるようになっていった。
現代では「辞世」は作らないの?
中世から近世にかけては辞世がたくさん作られたのは なんとなく想像できるだろう。それでは、いま私たちが生きている 現代ではどうだろうか?辞世の句なんて誰も作っていないように思えるが、辞世の文化はすっかり廃れてしまったのだろうか。
文学作品として和歌を作るという文化が 少なくなってしまった現代では、やはり和歌や発句によって辞世の句を作る、という考え方はあまりなされていないと言えるだろう。そもそも戦に常に動員され、医学が現代ほど発展していなかった昔では、現代よりも強く死が意識されていた。
現代では医療が進歩し、寿命も延び、以前ほど人々は「死」を意識することはなくなっている。それによって 死を強く思いながら自らの人生を振り返る辞世の文化も、徐々に衰退していったのではないかと 筆者は考えている。
それでも前述したとおり、「辞世」とは必ずしも歌である必要はない。例えば遺族に残す遺言、手紙、あるいは死の床に伏せる前に声や文字を残したもの、そういったものは少なからず「辞世」としての性格を持っているように思える。
「辞世の句」を読む―――現代人にも通じる感性
文人、戦国武将、僧侶、俳人―――かつては多くの人が辞世をつくり、また多くの作品が現代にも伝えられている。
有名どころを少し見てみるだけでも、その人がどんな一生を送ったのか、あるいはどんな気持ちで死を見つめていたのか、その片鱗を受け取ることができる。中には現代に生きる我々の心に響くような哀愁や切なさもあって、悩んだ時にちょっとした助けになるかもしれない。
何かに行き詰まったり、悩みに直面したりしたときには いろいろな人の辞世の句を読んでみるのも良いかもしれない。きっと思わぬ発見や、気づきがあることだろう。