8月中旬、お盆で帰省する方が多かっただろう。ご先祖の墓に手を合わせ、日ごろ疎遠の親戚・友人との語らいが帰省の何よりの楽しみである。私も年に一度だけとなった、従兄弟との食事会を今年も楽しんだのだが、その席での思い出話に、ツキっと胸が傷んだ。というのも従兄弟は子供の頃お父さんをなくしていたのだが、そのお葬式の日が実は私の結婚式だったのである。
くも膜下出血で急死した叔父
従兄弟のお父さんはくも膜下出血での急死だった。母の妹夫婦なのでもちろん結婚式には招待してあり、叔父はもう汽車の切符も買って楽しみにしていたとのことだった。母や母の実家は大騒ぎだったことだろう。あの頃、結婚式は非常に大規模にやることが多く、両家合わせて招待客が数百人というのはざらだった。その大勢のお客様のことで私の頭はいっぱいで、叔父の死に現実感が持てなかったように思える。
私の結婚式ではなく、叔父の葬式が優先されたが、一家の長である祖父は結婚式に参列
結局、結婚式には祖父と一番下の叔父のみ列席してくれた。お色直しで私が控室に戻ると、その叔父が葬式用の服に着替えている最中だった。「あっちへいくわ。悪いな」と叔父は去っていった。その後ろ姿に若かった私は『おばあちゃんもおばちゃんも来てくれてないんだな』と一抹の寂しさを感じていた。
母の実家の人たちは一家の長である祖父のみ結婚式へ参加して私の家への義理を果たし、ほかの親族は不安と悲しみでいっぱいの叔母のそばにいることを選んだ。今、私は母の実家の対応はある種当たり前で良かったと思っている。同じように大切な式とはいえ、悲しみと不安でいっぱいの叔母のそばにいてあげることが身内として大切なことだと思うからだ。
最後に…
現在こういうことが起きたらどうするだろう。あの頃はお葬式も結婚式も規模が大きく、また家族での参加の度合いが深かったように思う。時代が変わり今はお葬式も家族葬を選択される方が多数おり、また結婚式の規模も小さくなっている。そのため小回りが利く分、困ったことも増えそうだ。またそれぞれの家の事情も千差万別だろう。ただ一番大切にしなければならないのは、悲しみ辛い人の心に寄り添い支えることを、何より第一に考えることだと思う。