誰もが、自らの「死」というものはリアルには考えたくはないものでしょうが、ほんの少しでも考えたことはあるのではないでしょうか。そしてそこで想像することのひとつに、所持している物をどうするか、という問題があります。それらはおそらく、高価なモノだけでなく、自分にとっては何よりも大事なモノであり、色々な意味で譲れない(特定の人には見られたくない)モノかもしれません。そこで有効な手段がエンディングノートです。
遺書とエンディングノートの違い
エンディングノートと似て非なるものが遺書です。遺書は自分が死ぬ前の心情を記すことが多いようです。つまり「死」を覚悟し、それを前提として記し残すということです。
例としては第二次世界大戦末期の特攻隊員が出撃前に残したのが、この遺書なのです。これから死にゆく前に自らの生きた証を残すため、愛する家族へ向けたメッセージといってもよいでしょう。また、現代においても、とてもいたたまれないことですが、ご本人にとっては逃れられない重大な悩みの末、自ら命を絶ってしまう決断をしてしまった人々も、遺書によって想いを残しこの世を去ってゆかれるケースが後を絶ちません。先立たれた方にとっては「何故、逝く前に打ち明けてくれなかったのか」と、後には想像を絶する悲しみが永久に残ってしまうことでしょう。しかし先行く者にとっては愛する人々に余計な心配をかけずに自分がこうするのだと思ったからこそ、そう決断してしまったのでしょう。このような悲しみや不幸は絶対にあってはならない事です!
エンディングノートとは、苦渋の決断ではなく、もし自分が死んだらこうしてくれという「希望」を託すものなのです。思い起こせば「遺書」を残すくらいなら「希望」を受け入れてくれる大切な人は必ずいるはずです。そんな人々を大切に思い、付き合い、そして残す「希望」がエンディングノートなのです。
最後に…
遺言や遺書など人生の終末を考えるというと重く感じたり、あまり気分も良くはないかもしれませんが、エンディングノートとは遺言、遺書のように「死」を直視したものではなくこれまでの人生で積もってきた物や事を振り返り、そしてこれからの残りの人生と向き合っていくことではないでしょうか。今の自分に何があり、これから何を得て、どのような最期を迎えたいのか。整理して記すことにより、気付かなかった自分の人生に必要なものや不要なものが見えてくるかもしれません。
何より、自らが安心して人生のクライマックスに向けて生きて行けることでしょうし、エンディングノートによって希望を記しておけば、残された側も、大切な人を失った悲しみから少しは救われるのではないでしょうか。