先日筆者がネットサーフィンをしていると、信じられない言葉が目に入った。どうやら日本初の葬儀システムが導入される予定とのことだ。
その名も『ドライブスルー葬儀場』。なんなんだ、この字面、そして一体全体どういうものなんだ。どうも葬儀の簡素化の一端というわけらしい。
葬儀の形の最先端とはどのようなものなのか、そしてそれにどう向き合っていけばよいのだろうか。
車から降りずに参列する葬儀?
この『ドライブスルー葬儀場』は、2017年内に長野県上田市に登場する予定である。読んで字のごとく、車に乗ったままの状態で葬儀に参列することのできる葬儀場だ。一台ずつ専用のレーンを進んで、タブレット端末を通して参列者の受付、香典預かりなどを済ませ、ボタン一つで焼香もできる。喪主はそれを式場内のモニターで確認することもできるとのこと。葬儀の簡略化もついにここまで来たか、という感じである。
少子高齢化のこともあり、現在では様々な形で葬儀の簡略化が進んでいる。地域や町内会で協力しあうことが減り、葬儀屋に丸ごと任せられるプランも増え、そして家族葬など身内だけで速やかに済ます形も随分と広まった。
今回の『ドライブスルー葬儀場』は、実現されれば現代日本で最先端を走る葬儀の形となり得るだろう。開始直後は驚きや批判が相次ぐかもしれないが、数年、数十年と経ってしまえば、手軽で一般的な葬儀の形として受け入れられているかもしれない。
簡略化の良さ
以前、足を悪くした高齢の祖母が、友人だか同僚だかの葬儀の参列を断っていたことがある。
「立っても ろくに動けんし、ずうっと座っていて疲れてしまうし」
故人とはかなり仲が良かったそうなのだが、自分の身体が思うように動かず、かえって喪家の負担になってしまうことを気にしたらしい。結局お参りにも行けていないようだが、葬儀の参列を断るのは 祖母にとって非常に残念なことであっただろうと思う。
この話を思い出したのは、『ドライブスルー葬儀場』ならあるいは、祖母は参列できたかもしれないな、と考えたからである。
車の助手席に座って、他の誰かに運転を任せて式場へ向かう。車からは降りないわけだし、挨拶も焼香もスピーディだ。実際に参列する葬儀よりもかかる時間も動く距離も少ない。なるほど、こう考えると ドライブスルーも一理あるのかもしれない。このような葬儀の簡略化は、少子高齢化が進んで参列者に高齢者が増えたという背景にもよる。一見昔とは全く異なる形でありながら、時間に追われる社会人だけでなく高齢者にも、こういった簡易化された葬儀はメリットがあるのかもしれない。
葬儀はいつかなくなる? 進む簡略化
時間がない、労力がもったいない、お金がない、呼べる親族が少ない・・・。
こういった様々な状況から、葬儀は以前とずいぶん姿を変えている。あらゆる方向に簡略化が進み、今回は思ってもみなかった発想の葬儀が誕生した。しばらく時代が経てば、ひょっとしたら、葬儀を「行わない」という選択肢が、もっと広まっているのではないか。そんな予感も頭をよぎる。
自分が死んだときにはどうしてほしいだろうか。
親が死んだときにはどのような葬儀を行えばいいだろうか。
車から降りずに手を合わせている参列者をモニターで眺めながら、どんなことを思うだろうか・・・。
変わり続けるお葬式の形と自分や周りの人のことについて、あなたはどう考えるだろうか。