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ノールべ文学賞受賞作家で詩人のヘルマン・ヘッセが考える「シッダルタ」

日本人にもなじみ深い詩人のひとりであるヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)が1919年に書いた詩に「あらゆる死(Alle Tode)」というものがある。

ノールべ文学賞受賞作家で詩人のヘルマン・ヘッセが考える「シッダルタ」

「あらゆる死(Alle Tode)」

  あらゆる死を私は既に死んだ/あらゆる死を私は再び死ぬだろう/
  森の中では木の死を/山の中では石の死を/砂地の中では土の死を/
  風にそよぐ夏草の中では葉の死を/そして哀れな血みどろな人間の死を

  花に私は生れ変わりたい/木に草に私は生れ変わりたい/
  魚に鹿に 鳥に蝶に/そしてどの姿の中からも/憧れが私を追いたてて/
  最後の悩み/人間の悩みへとたどらせるだろう

  憧れの凶暴な拳が/生の両極をたわめて/近づけようとするとき/
  おお 張られた弓のなんと顫えることか/これからもまた幾たびも/
  お前は私を死から誕生へと/形成の苦しい軌道を/
  形成の輝かしい軌道を駆り立てるだろう

永遠の命、死後のよみがえりを信じるキリスト教徒にはなじみにくい「生まれ変わり」を表現しているヘッセだが、祖父、そして父母も、インドで敬虔派プロテスタントの宣教師として活動していた。それゆえ、家庭の中にはインドの文物のみならず、その「空気」も存在していたのだろう。それに加え1904年、ヘッセが27歳の時に、何故西洋人が自分たちと全く異なる世界観を有するトルコ、インドなどのオリエント世界に惹かれる理由について、「東洋の怠惰」を挙げていた。それは、西洋人は時間をこれ以上できないほど細分化し、しかもそれらの破片は硬貨1個分の価値すらない。しかし東洋では、時間は絶え間なくみなぎりあふれる波浪となって流れ、ひとつの世界の乾きを癒すに充分、無尽蔵であると賞賛していた。

インド旅行に出掛けたヘルマン・ヘッセだったが…

そのようなヘッセは1911年、34歳になって、インド旅行に出かけた。当時の西欧社会では、インド旅行が一部でブームになりつつあったこともある。しかしヘッセは実際には、シンガポール、スマトラ、バレンバン、セイロンなどの東南アジアを旅しただけで、インド本土に足を踏み入れることができなかった。旅費不足と、旅行中に赤痢にかかってしまったからである。それゆえヘッセは、「インド」に諦めをつけるため、セイロン島の最高峰・ピドゥルタラーガラ山に登った。そこでヘッセは、「私達は感謝の念のこもった、おぼろな故郷の予感にかられて、憧れに満ちて南と東とへやってくる。そしてそこにあらゆる自然の賜物が充実し、豊富にみなぎっていることを、パラダイスを発見する…(略)…私達はここでは異国人であって、市民権を持っていないのだ。私達はとっくにパラダイスを失ったのだ。そして私達が所有し、打ち建てようとするパラダイスは…(略)…私達の中に、私達自身の北国の未来の中にあるのだ」と、自身を含めた西洋人の「オリエント」への憧憬に対して、ある種の「決別宣言」を行った。それと同時にヘッセは、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、仏教徒などが行う宗教的礼拝と行事は、美しく重要なものであると感銘を受けていた。それゆえヘッセは、西洋人には欠けているように思われた敬虔な宗教的感情を「オリエント」の人々に見出し、尊敬の念を捨て去ることはなかった。

世界で500万部も売れたヘルマン・ヘッセが書いた「シッダールダ」

このことは、1919年12月、ヘッセが42歳の時に執筆を開始し、翌年2月に第1部を、そして2年あまりのブランクを経て完結させた小説、『シッダールダ(SIDDHARTHA, Eine indische Dichtung)』に色濃く反映されている。副題に「インドの詩」とつけられているのは、インドの修行僧が読経の際に同じ文句を3度ずつ唱えながら足踏みの調子もそれに合わせていることに着目し、同じような表現を3度ずつ、言い方を変えて繰り返しているからである。

『シッダルタ』は、いわゆる「仏陀伝」ではない。ヘッセ自身の西洋的自我の問題、そして第1次世界大戦(1914〜1918)後のヨーロッパの精神的荒廃を、東洋の叡智を駆使することによって克服していった作品だ。また、発売当時のドイツ国内ではあまり評判がよくなかったが、20世紀のヨーロッパ文学の中では最もよく読まれ、多くの人々に影響を与えるものになった。特にアメリカでは、ベトナム戦争(1955〜1975)当時のビート族・ヒッピー族など、反戦・反体制・自然回帰を求める若者世代を中心に、500万部も売れたと言われている。

タイトルの「シッダルタ」とは、我々がよく知る仏陀こと、ゴータマ・シッダルタと暗に重ねて描かれているとも考えられるが、インドの最上階層であるバラモン(祭司)の家に生まれた、あるひとりの男のことだ。彼はバラモンの息子としての生活、出家後の修行生活、豪奢な生活、そして川の渡し守と、生き様を変転させながらも、一生を通して、唯一のもの、真我(アートマン。意識の最も内奥にある個の根源)を、追い求め続けた。つまり『シッダルタ』は、そのシッダルタから見た仏陀、あるいは、仏陀と一瞬の出会いと別れを経験した男の一生を描いた物語だ。

仏教徒だとよばれることもあったというヘルマン・ヘッセ

ヘッセはかつて、「自分は友人たちからたびたび《仏教徒》とよばれたが、自分はそれにたいして笑うことしかできなかった。結局のところ、仏教ほど自分から遠い信仰は知らない。がしかし、友人たちのいうことには《どことなく当たっているところ、つまり一粒の真理》が含まれている。もっともこれに気づいたのはずっとあとになってからだった。およそ人間が自分の宗教を自分で選ぶことができるということであるなら、私はきっと《保守的》な宗教に加入しただろう。儒教とかバラモン教、あるいはローマ・カトリックといった宗教である。それは対極の憧れからすることであって、生まれつき親しみがあるからではない。私が敬虔なプロテスタントの息子として生まれたことはけっして偶然ではなく、心情と本質にしたがったことなのだ。というのは、ブッダもおそらくは抗議する人(プロテスタント)であったという意味で、私は存在よりも生成を肯定するからである」と語っていた。

『シッダルタ』には、シッダルタの無二の親友・ゴヴィンダが登場する。2人は双子の兄弟、コインの裏表のように、出会いと別れを繰り返す。仏陀との出会いの後、ゴヴィンダは、仏陀につき従うことを選んだ。一方のシッダルタは、仏陀とは離れ、しかしずっと心の片隅に残しつつ、自分のやり方で真我を見出そうとした。傍目には、俗世間から離れ、断食や瞑想などの厳しい「修行」によらず、遊女カマラとの出会い、そして裕福な商人となり、快楽と欲望が常に自分のそばにある世界、あるいはそこから再び離れ、川の渡し守という、市井の平凡な暮らしを生きつつも、それらに埋没し、忙殺されることなく、常に満たされない虚しさを覚えながら、真我の追求を忘れずに生きた。

『シッダルタ』の執筆後に、スランプに陥ったヘルマン・ヘッセ

ここでわかるのは、ヘッセはゴヴィンダのように「我」を滅却し、「その世界」に入っていくことができない。「私達はここでは異国人であって、市民権を持っていない」「仏教ほど自分から遠い信仰は知らない」という、ヘッセ自身の「距離感」が主人公・シッダルタとなって、ヘッセまたは西洋人にとっての「パラダイス」である「憧れのインド」を逍遥しているのだ。

だが、ヘッセにとって、『シッダルタ』の執筆は、「詩人」らしく、夢の世界の中に自分を置き、陶酔しながら取り組んだものではなかった。ゴヴィンダと別れた後、ひとりで旅立とうとするところで終わる第1部が完成した後、ヘッセはスランプに陥ってしまう。

若き日のヘッセが「東洋の怠惰」を讃える中で、「芸術家は、いつの時代においても、ときおり無為に過ごす必要があった。ひとつには新しい体験を消化し、自分の心の中で無意識のうちに活動していた思想などを熟成させるために、ひとつには何の目的もなく無心になって、くりかえし自然のままのものに近づくために、子供に帰り、大地や、植物や、岩石や、雲の友であり兄弟であることをふたたび知覚するためである」と書き記している。頭の中で分かっていても、ヘッセは「耐え忍ぶ禁欲者シッダルタ」から、「勝利者、肯定者、克服者シッダルタ」を書けなくなってしまったのだ。前者の方は、1909年、彼が32歳の時に参加した、南スイスのアスコナにあるモンテ・ヴェリタの菜食主義者の共同体で、栗の実と米、牛乳、マカロニを食べ、山中を歩き回るという黙想的苦行の経験。第1次世界大戦時に従事していた戦時奉仕の仕事を終えてから、家族と別れ、単身でスイスのモンタニョーラに移り住み、作家としての再起を図ろうとしていたこと。更に経済的な逼迫により、近在の森に落ちている栗を拾って食べる羽目になっていたこと。また、「体験しないことを書くのは無意味」と、あえて修行僧のような禁欲・断食・瞑想などを行ったために、筆が進んだ。しかし後者の場合は、ヘッセ自身が到達できていない精神世界や世界観を描くものだったため、大変な困難を極めた。重篤な神経衰弱に陥ってしまったヘッセは、心理学者のC・G・ユングの精神分析を受けたりもした。

ちょうどその頃、ヴィルヘルム・グンデルトがヘッセの元を訪れた。ヴィルヘルムはヘッセの母方の祖母の孫で、旧制水戸高等学校(現・茨城大学)のドイツ語教師をしながら、日本の神道研究を行なっている人物だった。ヴィルヘルムからもたらされた東洋思想、ユングによって気づかされた自己感情・自己理解、そしてヘッセを支えた知人たちの存在によって力を得たヘッセは、6週間で一気に、後半の第2章を完成させた。それはひとえに、ヘッセ自身の力と人生を肯定する気持ちを取り戻すことができたためである。

『シッダルタ』とは…?

厳しい修行生活から、遊女カマラと共に過ごすようになったシッダルタは、愛欲と豪奢な生活を始める。しかし心は満たされず、かつての求道心を忘れ去ることがなかったシッダルタはそこを離れ、川の渡し守・ヴァスデーヴァの元で過ごし始める。難解な学問や厳しい修行によらず、川の流れの声に耳をただ静かに傾け、聞くことを体で、心で「学ぶ」。美しいもの、崇高なものばかりではなく、醜く、軽蔑すべきものであっても、それらを含めた世界全てを愛することを掴み取った。その結果、相入れることがなかった自分の息子、そしてヴァスデーヴァの別れをも、「乗り越える」のではなく、「深い歓喜、深い厳粛さのうちに」見送ったのだ。

最後、川のほとりでゴヴィンダとシッダルタは再会する。シッダルタは、ゴヴィンダがよく知っていた「シッダルタ」ではなかった。「彼の眼前に髣髴として現われたのは他のもろもろの顔である、多数の、長く長く列(つら)なった、みなぎり流れる奔流である、百の顔、千の顔、それら全ては現われては消えた、しかもその全てが同時に存在するように思われた、それら全ては絶えず変化し更新されていた、しかしその全てがシッダルタなのだ」。魚、生まれたばかりの赤ん坊、人殺し、そして神々…それらすべての像や顔が、おのおの他を助け、愛し、憎み、滅ぼし、新たに生みあって、無数の相互関係を織り成していた。すべてそれらは「死への意志」だったが、いずれも、死にはしない。「時」が存在しないかのように、つねに新たに生まれ変わった。ゴヴィンダは、静かに微笑するシッダルタを通して「見える」、絶えず変転する世界によって、彼が何かを知った。「このシッダルタのほほえみこそが、仏陀ゴータマのほほえみと全く同じものであったのだ」。

ヘルマン・ヘッセが描き出したかった「仏陀」、「仏教」とは?

ヘッセがシッダルタというひとりの男を通して描き出した「仏陀観」が、いわゆる正しい「仏陀」または「仏教」であるとは、必ずしも言い切れない。それは、ヘッセ自身が自覚していたように、西洋人であるヘッセが捉える「仏陀」「仏教」は、どこまでいっても、「異国人」「自分から遠い信仰」だった。確かにゴーヴィンダがシッダルタに見た、怒涛のように流れ続ける「幻」は、人間と自然環境が一体不二であり、森羅万象がすべて絶対者の表れという、仏教的な「草木国土悉皆成仏」を表現しているように思える。しかし、「おのれの自我は《器》を表現しているにすぎない。救われた魂は個体化という誤謬から抜け出し、全宇宙の階調と一つにならねばならない」と語っていたヘッセの「仏教観」は、6世紀頃のカトリック教会において異端とされていた、グノーシス主義などの神秘主義への造詣が深かったユングからの影響も考えられるからだ。

ヘルマン・ヘッセが行き着いた場所とは

1933年、56歳の時にヘッセは、「地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」と書き残している。また、その6年前には「私がまたしても通り抜けなければならなかったこの恐ろしい空虚と静けさ、死にたくなるような心理的狭窄感、孤独感、そして疎外感、愛の欠如と絶望という、空虚な荒涼とした地獄に落ち込んだあとは、決まってなんらかの仮面がはがれ、理想が崩壊していったものである。しかし私はこのような衝撃を受けるたびごとに、結局、何かを獲得してきた。それは否定できないことである。つまり、以前より少しばかり自由になり、精神的にゆたかになり、深みを増したが、同時に孤独になり、他人に理解されないという気持ちが強まり、以前よりも他人に冷淡になったのである」と吐露してもいた。

神経衰弱を乗り越え、『シッダルタ』を完成させたことは、ヘッセにとって「救い」をもたらしたことは事実だった。しかしシッダルタやゴヴィンダが永遠に生きる、「インド」を逍遥し続けることは不可能だ。現実世界を生きねばならない。その後のヘッセの人生は、1933年に始まるナチスの台頭、そして第2次世界大戦(1939〜1945)という時代の不運も手伝って、ひとつの作品を生み出した充足感、そして読者からの支持を得ると同時に、「一段と厳しく困難で孤独なものとなり、危険をはらんだものとなるばかり」だった。しかしそれでもヘッセは、「地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」と読者のみならず、自分自身をも鼓舞していた。ヘッセという人間が、仏陀につき従った「ゴヴィンダ」ではなく、ブッダから離れ、様々な人生経験を経た「シッダルタ」だったからこそ、「恐ろしい空虚と静けさ、死にたくなるような心理的狭窄感、孤独感、そして疎外感、愛の欠如と絶望」を抱えた自分自身と、「インド」に限らず、自身の美意識に即した詩的・文学的世界に逃げ込み、自分自身に溺れることはなかった。とことん苦しみ抜き、地獄のような絶望の淵にいながらも、ヘッセは自己表現を止めることはなかった。『シッダルタ』執筆のスランプに陥っていた1921年当時、ヘッセは芸術作品の到達点について、「芸術家の個性、芸術家の自我を完全に、多岐にわたって、あらゆる細部にいたるまで表現しつくすこと、この自我が最後にはいわばもう存在しなくなり、姿を消してしまうまで、すなわち自我が存分に荒れ狂い、燃えつきてしまうまで完全に表現しつくす…(略)…それに続いて、その燃えつきた自我よりも高いもの、つまり超個人的なもので超時間的なものが獲得されるだろう」と書き記していた。

ヘルマン・ヘッセが書いた『シッダルタ』は、私たちがよく知る「仏陀」とは異なる

文学作品としての『シッダルタ』は、学校などで専門的に学んだことはないにせよ、多くの日本人が持つ「仏教」「仏陀」観とは大きく異なるものだ。しかしその「違い」ゆえに、我々は逆に惹きつけられる。それは、6世紀半ばに伝来してからずっと、「仏教」「仏陀」が当たり前に日常生活のどこかに存在し、今日に至っている多くの日本人にとってさえ、「仏教」「仏陀」はゴヴィンダ的に、自分の人生や価値観全てを捨ててその世界に入っていきたいものというより、やはりシッダルタ=ヘッセ的に「距離」をもって、その教えや叡智、仏像などに見る美的世界にため息をつき、救いや癒しを与えられるものと捉えられているのが現実だからだ。

最後に…

全ての人にとって、時代や文化、国や性別、年齢を超え、死ぬまで生きることは、楽しい夢のような時ばかりではなく、辛く、孤独で、時に地獄にいるように感じられることもあるだろう。自分自身の悩みや苦しみばかりではなく、世の中には解決困難な多くの問題が山積している。そんな時、自分を捉えて離さない不安感や憂鬱からあえて離れ、自分の現実とはかけ離れた別世界に自分という人間を置いてみることを想像してみてはどうだろうか。ヘッセのような大文豪でなくとも、人の心の内側には、人それぞれの「思い」、そして「パラダイス」がある。「別世界」「パラダイス」に自分をどのように配置し、何を思わせ、語らせ、動かすのか。そこで「パラダイス」は必ずしも永遠に続く「パラダイス」ではなく、ヘッセのように、今まで苦しんできた「地獄」とは異なる「地獄」が生まれ出ることを知るだろう。そして自分にとっての「パラダイス」や「地獄」をも包摂した現実世界を「愛する」ことができるようになるのではないかと、筆者は考える。

参考文献:ヘルマン・ヘッセにおける東洋受容とヨーロッパ人としてのアイデンティティー、 生きることについて―ヘッセの言葉、 筑摩世界文學大系 62 ヘッセ、 地獄は克服できる、 ヘッセ (Century Books―人と思想) 、 評伝ヘルマン・ヘッセ〈下〉、 シッダールタ、 シッダールタの旅、 超訳 ヘッセの言葉、 

ライター

鳥飼かおる

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