近代になる前には「日本」ではなかった沖縄文化圏にも、現代日本的な意味での「無縁仏」に近い概念は、幾つか存在する。そしてその中には、現代日本での「無縁仏」の概念以上に、例えば祟りがあるなどとして重大なタブーとされ、更には様々なトラブルの要因となったものも、決して少なくない。
今も残る沖縄独特の習俗 「ウヤヌフチュクル」
しかし一方、そうしたタブーやトラブルの要因となる恐れのある状態を脱するため、これらの概念の解釈や適用を柔軟にする工夫もまた、沖縄文化圏では幾つかみられる。例えば、直系の後継者がいない家の位牌を、親類や親類とみなされた家が預かって祀る「アジクェーグヮンス」が、その一つである。また、未婚や夫との離別などのため、独身の状態で亡くなった女性をあの世で「結婚」させる「グソーニービチ」も、こうした工夫の一つである。
そして、今回書く「ウヤヌフチュクル」も、そうしたタブーを回避する工夫である。
幼くして亡くなった子どもだけでなく独身者も指すようになった
ウヤヌフチュクルとは、直訳すると「親の懐」であり、転じて「親の懐に抱かれた幼な子」を指す。どういうことかというと、様々な理由で「独身の状態で亡くなった死者」を、彼や彼女の両親の位牌(沖縄での伝統的な位牌は、死者を夫婦単位で祀るのを前提としたタイプが一般的である)と一緒に祀ること、あるいはそうして祀られた死者を、ウヤヌフチュクルと呼ぶ。
本来は、文字通り幼児のうちに亡くなった子どもを、無視することなく祖霊祭祀に組み込むために始まった習俗であった。このウヤヌフチュクルとして祀ることができる子どもは、具体的に何歳頃までなら良いのか、という明確な規定は存在しなかったようである。そうしたこともあり、「独身の状態」で亡くなった子どもなら、既に成人していたり、更には高齢になって天寿を全うした場合でも、ウヤヌフチュクル扱いで祀り、祖霊祭祀のシステムに組み込むことができるとみなされた。
供養する際にも独特な作法が存在
そうした、いわば「成人ウヤヌフチュクル」として祀られる死者は、一種の「幼児擬制」であることもあり、未婚のまま亡くなった死者であることが多い。一度結婚したものの配偶者と離別した(子どもがいた場合は、元配偶者に引き取られた)後、再婚せず亡くなった死者も、ウヤヌフチュクル扱いで祀ることができるのかどうかは、筆者は未確認である。
ちなみにウヤヌフチュクルとして祀られた死者を、盆などに供養する場合も、独特の作法が存在する。祖霊全員に供える線香とは別に、ウヤヌフチュクルとして祀られた死者のためにも線香を供え、彼や彼女がなぜこうして祀られることになったかのいきさつを、祖霊たちに伝える言葉をかける、というものである。
現在は本土の葬儀慣習が普及してきている
ただ、近年は「本土」式の、いわゆる葬式仏教的な文化も沖縄で普及してきており、その一環としての「寺院墓地などでの永代供養」も、死者に関する様々なタブーを回避するための選択肢の一つとされている。
参考文献:トートーメーの民俗学講座―沖縄の門中と位牌祭祀