私が体験した始めての人の死は、母方の祖父だった。それ程遠いところに住んでいたわけでは無かったが、そんなにしょっちゅう会える近さでも無かった。子どもにとっては、車で30分も、アメリカも、そう変わらないくらいの距離だ。
死に際にやたらとのんびりしていた実の娘である私の母
祖父は、私がまだ小学校に入って間もない頃に死んだ。何で死んだのかは覚えていないが、父と母が、危篤らしいので急いで病院に行かないといけないんだと言いながら、駅前の喫茶店で談笑していたのは、はっきりと覚えている。
「あかんやろな。もう、間に合わへんと思うわ」
母はその頃よく通っていた喫茶店の仲のいい従業員たちに、笑いながらそんな説明をしていた。自分の父親が死にかけているというのに、なぜコーヒーなんかのんびりすすっていたのかは知らないが、私たちが病院に到着した頃には、祖父の意識はすでに無かった。分厚いビニールのカーテンの向こう側で、しわしわになった祖父が、苦しそうに空気を吸ったり吐いたりしていた。周りにいた親族が、母の姿を見るなりこう言った。
「手を握ったって。ずっとあんたの名前を呼んでてんよ」
口々にそう言っては、憚らずそこかしこで号泣していた。初めて見る異様な光景に、私はただ怖かった。母は、力の無い自分の父親の手を握って嗚咽していた。
あんなに悲しんだなら何故すぐに駆けつけなかったのだろうか
そんなに悲しいなら、あんなところでのんびり冗談なんて言ってないで、もっと早く来てやればよかったのに。そうしたら、意識のある間に少しくらいは安心させてあげることが出来たかも知れない。大人の事情なんて子どもには全く理解できなかった。祖父はそのまま意識も戻ることなく亡くなった。
私の祖父の思い出といえば、ランドセルを買ってきてくれたこと。チクチクする髭をほっぺたに擦りつけてくること。そして、一緒にお風呂に入ったらいつも、自分の入れ歯を外して舐めさせてくれること。あんまり会うことは無かったので、覚えているエピソードも少ない。それにしてもなぜ、お風呂に入ったら、入れ歯を舐めさせてくれるのかよく分からなかったが、なぜか入れ歯は甘くて美味しかった。だから私はずっと入れ歯は甘いものだと思っていた。お菓子で出来ているのだとすると、もっと虫歯になるんじゃないかなあ、くらいの疑問はあったと思う。大人になってからその話をみんなにすると、みんな、ひとしきり気持ち悪そうにする。
貧血になる度に思い出す祖父
お葬式は真夏の暑い日に行われた。どのような手順で行われて、何をしたかあまり覚えていないが、棺桶の中の祖父の顔は怖くて見ることが出来なかった。「物静かで優しくて髭が痛くて入れ歯が甘いおじいちゃん」は、私のことを特別かわいがっていたのだと思う。何しろ、死の間際に名前を呼び続けるほど、愛しい娘が産んだ子どもなのだから。
お坊さんを従え、葬送の行列は祖父の遺骨をお墓に埋めた。私は従妹とその道をはしゃぎながら歩いていた。すると突然目の前が歪みはじめ、とても立っていられなくなってしまった。いわゆる、貧血だった。その時から、私は定期的に貧血を起こすようになった。そして、貧血をおこすたび祖父を思い出す。そんな優しく、私のことが大好きだったはずの祖父が、お墓参りにちっとも訪れないからといって、薄情な孫への仕打ちをするはずが無いのは分かっている。だけど、貧血になるたび、少し心の奥がチクチクしてしまう。
母はその日の夜、火の玉を見たらしい。あれはきっとおじいちゃんだと騒いでいた。母には少し霊感があるようだったので、きっと本当に見えたのかも知れないが、死に際すぐに行ってやらなかったことへの罪悪感が見せたものだと、私は信じたい。そして私と同じように少しは心をチクチクさせてもらいたい。