骨壺の大きさが、関西と関東では違う。関東は火葬したあと、全身の骨を残らず骨壺に収納するため、それらが全て収納できるくらいの大きさでないといけないのと違い、関西では、主要部位から少しずつ抜き取って収納するため、小さくても大丈夫なのだそうだ。残った骨は合同埋葬されるらしい。(地域によって風習やしきたりなどにより様々であり、一概には言えない)
関西で葬儀を執り行った祖母
祖母が亡くなったのは関西だったが、そのときは確かこんな感じだった。
火葬後、骨になってしまった祖母を親族で囲み、長さの違う箸で、骨を少しずつ摘み上げる。その都度担当の職員が「これが、足のお骨です。これが、腰のお骨です」といった具合に説明をしてくれ、丁寧に骨壺にしまっていってくれた。そして、足から順番に、まるで骨壺の中で座っているような形に創り上げていき、最後に、大事な部分ということで、喉仏を一番上に乗せ、蓋が閉じられた。ここで、少し疑問がわく。とにかく喉仏は大切な部分らしいのだが、頭の上になぜ喉仏がくるのか、せっかく骨壺に座っている小さな祖母をイメージしていたのに、ここでフリーズしてしまった。理屈にツメが甘いように感じてしまうのは私だけだろうか。
話を戻して、その祖母の縮図とも言える小さな骨壺は、私が持ち上げると、両手のひらにすっぽりと包まれてしまうくらいの小さなものだった。祖母は明治女にしては、かなり体格のいい女性だったので、こんなに小さく軽くなってしまったことに、父と私はまた切ない想いがして、おいおい泣いたのだった。
関東で亡くなった母
骨壺の大きさの違いについて気になったのは、母が亡くなったことがきっかけだった。
母は私がまだ子どもの頃、家を捨てて出て行ってしまった。そしてその後、関西を離れ千葉で暮らしていのだが、66歳の時、独り暮らしの小さな自分のアパートで突然倒れた。医者やご近所さんははっきりとは言わなかったが、見つけるのがもっと早ければ助かっていたのかも知れない。ただ、倒れてから意識が戻らないまま、たったの三日ほどで逝ってしまったので、ある意味、誰にも迷惑を掛けずに死んでくれたことには、感謝すべきだろうか。しかし、身寄りの無い母の遺骨については、どんな事情があるにせよ、さすがに実子がほったらかしにしておく訳にはいかないので、私と妹は仕事を休んで引き取りに行くことにした。
火葬が済んだあと、骨壺を受け取って驚いた。「いやいや、こんな全部渡されたって、ははは」冗談だと思った。しかし、火葬場の担当の職員は至って真面目だ。「いや、だからさ、もっとコンパクトに持ち運びしやすくしてもらわなくちゃ。なにせ私たちは、今から大阪に帰るんですよ」だが、そんな理屈は当然通らない。そりゃそうだ。デパートのコンシェルジュじゃないのだから、お客様の要望に全てお答えするはずはないのである。
大阪に持って帰るには大きすぎた母の骨壷
まだ春なんて、ひとつも感じられない、寒々とした枯野原の褐色の風景の中で、私は、でっかい骨壺を担ぎ、タクシーが来るのを待っていた。鳶の鳴き声を背に、見送ってくれる人の少ない哀れなこの人の人生を思いながら、私は母をぎゅうっと抱きしめた。
新幹線では、置き場所に困り、始めは膝の上に乗せていたのだけど、近くなったとはいえ、東京—大阪間の3時間弱は結構長い。気が付いたら足元に置かれていた。無意識に足を乗せかけて、それはいくらなんでも不味いだろうと、妹と私と、母は、笑いながら一緒に大阪に帰った。