日本が現在に比べ大幅に火葬率が低かった、1950年代の極めて初頭の頃、民俗学者 堀一郎は、火葬が早くから一般化した地域では、「死者の肉体と霊魂は別々のものである」という信仰が強いと指摘した。
この堀の指摘を逆にいえば、近年まで火葬が非一般的であり、土葬が一般的な葬法であった地域や宗教宗派では、「死者の肉体と霊魂は一体である」という信仰が、より強いといえる。
「完全なる死とは白骨化」という信仰
そして、このことは「土葬された死者は、一定の期間までは完全には死んでいない」とする信仰につながった。その一定の期間とは、多くは死者の肉体が白骨化するまでの期間とされ、多くの場合、死後、四十九日経過した時点こそが、まさにその、白骨化が完了し、死者が完全に死者となる時期であるとされた。
死者の即刻成仏を教義とする浄土真宗などの、一部の宗派を除く日本仏教で、死者を円滑に成仏させるための供養「四十九日祭」が行われるのも、これと深い関係がある。なお浄土真宗では、他の宗派に比べ早くから火葬が取り入れられたが、これも矢張り、死者は即刻成仏するという信仰と、無縁ではないだろう。
土を丸く盛り上げることで窒息の苦痛を少しでも和らげようとした
遺体の白骨化が完了していない死者は、まだ完全な死者ではないとする信仰は、死者は遺体の白骨化の過程で苦痛を感じているとする考え方も、生み出している。
例えば、沖縄文化圏やその影響の強い地域では、死者の肉体が白骨化する過程で、その死者は激しい肉体的苦痛を受けると考えられ、それを和らげるための独特な習俗があった。そしてそれ以外の地域でも、この「腐乱する苦痛」とは異なるが、遺体が白骨化する過程にある死者は、苦痛を受けるとされ、それを和らげる必要があるとすることがあった。
それが、「窒息の苦痛」である。
そしてその「窒息の苦痛」を和らげるための工夫という側面があるのが、かつて土葬が多かった地域での土葬法に多かった「土饅頭墓」である。穴を掘り、そこに遺体を埋め、土を埋め戻して平らにするのではなく、地上に遺体を安置し、その上に土を掛けて小さな丘のようにする葬法である。この土饅頭に、空気穴の役割をするとされる竹筒(息つき竹)を立てるしきたりも、多くの地域にあったという。
最後に…
この土饅頭墓は、古代後期に古墳が小型化していく際にみられた墓の構造でもあるが、一方では、古代に貴人の葬送儀礼として行われた「殯(もがり。死者の遺体をすぐには埋葬せず、一定期間安置すること。)」の名残りであるという説もある。
この「殯」のしきたりも、一つには、死者は死後白骨化するまでは生きているとする信仰のためである。土饅頭墓で、死者の遺体が地中深くに埋められるのではなく、地上に安置した遺体に土を掛けるのは、矢張り「まだ生きている」死者を地中深くに埋めることが、ためらわれたからだという説も、無視はできない。
参考文献:奄美・沖縄哭きうたの民族誌、 天皇と葬儀 日本人の死生観、 火―民衆生活の日本史、 古墳とはなにか 認知考古学からみる古代