唐突ではあるが、筆者は究極と言う言葉には、あまり好い印象を持てない。何故ならば裏を返せば、それが限界であるという意味だからだ。限界という言葉は、多用できる言葉ではないと考えている。故に、究極と言う言葉も頻繁に使う言葉ではないと思ってしまう筆者は、果たして少数派なのだろうか。
それはさて置き、これ以上手段を取りようが無いと言う意味で、正しく究極の相続税の節税対策を実行した方が居る。筆者も目標としている。ある意味、最も有意義で安心できる終活ではないかとも考えている。
どんな終活であっても、家族の同意は必要不可欠
その対策とは、財産を一切残さずに使ってしまうことだ。当然ながら借金も残さない。実行した場合、遺産分割協議を始めとした相続税に関する殆ど全ての問題が無くなるだろうし、煩わしい手続きも一切無い。一番楽な対策でもあるかもしれない。
しかし、実行に移す前にやらなければならないことがあるのは事実だ。それは、配偶者を含む家族にその旨を話し、理解して貰うことだ。相続人達の中には、相続財産を当てにしている人もいるはずだし、残される配偶者にとっては死活問題にもなりかねない。家族に知らせないまま、急に不動産等の財産を売却したり、散財を始めると心配させるばかりか、あらぬ疑いを掛けられかねない。周囲の理解を得つつ慎重に実行するべきだろう。
実際に実行した方の例
具体的に実行した上述の方を例に挙げてみる。仮にZ氏とするが、Z氏は節税対策について家族会議を開き、最初に子供達(既に成人し独立している)に財産は残さない、だが、借金も残さない。親に頼ることなく生きていくようにと宣言。
その後、奥さんには自分の死後も露頭に迷うことが無いように必要十分な配慮を行う旨伝えた。最初の家族会議が終わってから数ヶ月後、当時筆者が勤務する税理士事務所にZ氏と奥さんが来所。上記の件を踏まえ、今後の対策と対応を相談した。筆者としても非常に遣り甲斐のある案件であり、上司も興味があると見えて、何時になく熱心に対応した。その後数回の家族会議により、Z氏の奥さんと子供達はZ氏の考えに納得したようだった。
全財産を使い切るという選択肢も一考の価値あり
筆者とZ氏が導き出した結論としては、まず家族の理解があって初めて成立するものであるから、自分の意思をしっかりと伝え、家族が納得するまで話し合うこと。その後の対応については、細かく計画を立てても、そのとおりに実行できる可能性は低い。家族の理解を得られたならば、自分と奥さんの生活を維持しつつ趣味や自分が若い時に憧れていたが、経済的な理由で諦めていたことに挑戦する等すれば良い。最終的には残った財産は、日本赤十字等の公共団体に寄付することとなった。
誰もが死ぬことは避けられない。しかも生前に所有していた全ての財産は、死後において持参することもできない。更に、相続に関して様々な問題も家族の理解を得られれば全て解決できる。終活として一考する価値はあるものと考えるが、如何だろうか。