明治時代に徴兵制が導入されてから、一般市民が軍隊といういわば「異世界」で生活するためのマニュアルというべき本が多く出版された。
この種の「軍隊生活マニュアル本」は昭和の終戦に至るまで書かれたが、それらの中には、現代でいうところの「終活のすすめ」といえるような内容のものもあった。
死が身近だったことが終活本を生み出した要因
この「終活のすすめ」は、太平洋戦争の頃に言い出されたのではなく、既に明治末期に登場している。1904年の1月1日付で刊行された三毛茜陵・肥田竹宇共著「軍人の顧問」が、その明治の青壮年向け「終活のすすめ」である。
おりしも日露戦争の直前の時期であり、日本とロシアは一触即発の状態であった。そのため、市井から兵役に就いた人々や彼らの家族にとって、戦死はリアルに「自分ごと」として意識されるようになってきた。
つまり、このことこそが、この「終活のすすめ」を生み出した要因の一つだろう。
兵役に就く前にやっておくべきことが書かれていた
兵役に就いた以上、明日にも戦地に赴く可能性があり戦死する可能性もある。そのため、兵役に就く前に様々な身辺整理をしておくことが大切であると、この本ではまず説いている。要するに、様々な法律的・経済的な手続きをきちんと済ませて、「後顧の憂い」を持たず入隊すべきだとしている。具体的には、このようなことである。
■(当時の法律では)一般の人々が兵役に就いている期間中には、婚姻届を出すことが認められていない。だから、婚約者のいる者は入隊前に婚姻届を出しておくべきだ。万一戦死した場合、婚姻届を出しておけば婚約者は法律上の妻となるので、国家から遺族年金を受け取ることができる(内縁の妻は、パートナーが戦死しても遺族年金の受給資格が認められていなかった)。
■兵役に就いている期間中は、やたらに兵営外に出ることは禁じられている。だから、役所に何度も行く必要のある財産整理は入隊前にしておく。不動産や船舶などを所有しているにもかかわらず、登記をまだしていない者は、至急登記を済ませて、所有権が誰にあるのかをきちんと明確にしておくことが必要だ。
■もし出征することになったら、きちんと遺言書を書いてから出征すべきだ。戦地ではだいたい砲弾一発で戦死してしまうので、とっさの際に周囲の仲間の兵士に言づけをすることなど、まずできないと考えるべきである。また、万一遺言書を書けずに出征してしまっても、まだ救済措置はある。兵役にある以上、職業軍人ではない一般市民出身者であっても「軍人」である。そのため、遺言の作成にはある程度特例が認められていることを知っておこう(緊急の場合には、口頭の遺言も認められていた)。
陸軍もオススメしていた終活本
戦死者の遺族となる可能性がある、兵役に就く人々の妻子や両親、その他親族が万一の際にすべきこと、例えば遺族年金の申請はどのようにするかなどについても書いてある。
現代から見ると意外なことに、この「終活のすすめ」には、いわゆる精神論の要素がほとんど見られない。そして更に言うと、この本には当時の陸軍要人が序文を寄せている。つまり当時の軍にとっても、このような精神論によらない「終活のすすめ」は、必ずしも否定の対象ではなかったことがうかがえる。