1968年にノーベル文学賞を受賞した日本を代表する文豪、川端康成は1922年に短編小説「葬式の名人」を発表した。また、2009年に芥川賞を受賞した人気作家、津村記久子は2008年に「婚礼、葬礼、その他」という小説を発表している。共に葬儀が物語の背景となっている小説だが、それぞれの小説が発表される間には86年もの歳月が流れており、作者の年齢差は79歳となる。異なる時代に描かれた葬儀にまつわる二つの小説の共通点、相違点、描こうとしたものを読み解いてみよう。
川端康成の「葬式の名人」
著者の川端康成は1899(明治32)年に大阪で生まれた。彼は物心つく前に両親と死別し、祖父母に育てられている。その祖父母も、別の親戚の元で育てられていた姉も少年期に亡くしている。15歳で全くの天涯孤独となった川端の実体験を元に書かれたと言われるのが「葬式の名人」だ。
物語は大学生の主人公「私」が遠縁の親戚の葬儀に出席するところから始まる。「私」の葬儀での振舞いをみた従兄は「あんた、葬式の名人やさかい」と冗談を言う。その言葉に戸惑った「私」は、葬儀の作法に長けてしまうほど死別続きであった少年時代を回想する。
小説の中で印象的なのは最後の肉親である祖父を亡くした時の「私」の記憶だ。「私」は病み衰えていく祖父の介護をしながら嫌悪と哀れみを感じていた。また葬儀から火葬までの間に二度も大量の鼻血をだしたが、弱さを人に見せまいと誰にもそれを悟られないよう隠している。
22歳になった「私」は顔も知らない人の葬儀であっても、葬儀という場の情景に刺激されて今は亡き親しい人との別れを思い出す。だから自分は他の故人と縁遠い人々より敬虔な気持ちでそこにいるだろうと思っている。「私」は見知らぬ人の葬儀でその場にふさわしい表情ができるが、それは決して偽りの表情ではなく、自分の背負っている寂しさが葬儀という場をかりて出てきてしまうのだと考える。そして自ら自分は「葬式の名人」だと冗談を言うに至る。
津村記久子の「婚礼、葬礼、その他」
津村記久子は1978年(昭和53年)生まれの現代の人気作家のひとりである。「婚礼、葬礼、その他」は、大切な友人の結婚式に出席するはずだった主人公ヨシノが仕事関係の葬儀に急遽呼び出されてからの混乱を描くコメディータッチの物語だ。
ヨシノは葬儀の会場で故人の孫娘である中学生のなつみに出会い、故人がいかに家族にとって酷い人であったかを聞かされる。なつみは母親から葬式で泣くように頼まれていた。彼女によると母親は父親の為に自分が泣く自信もないし、葬儀で誰も泣かないことを恐れているのだという。ヨシノは故人の愛人達による見たくもない愛憎劇も目撃し、心底腹を立てる。ヨシノは大切な友人の結婚式を放り出してここへ来た。なぜ誰にも悼まれることのない見知らぬ故人のために自分はここに呼び出されるのか。
ところが一転、ヨシノは葬儀の最中に我知らず泣き出してしまう。読経を聞きながらヨシノは、母子家庭の子であった自分を育ててくれた今は亡き祖父母を思い出していた。彼女は祖父母の死に今も現実感がなく、自分は彼らに何もしてやれなかったと悔いている。やがてヨシノの泣き声につられて参列者のいく人かも嗚咽を漏らし始める。読経が終わってからヨシノはなつみの母親の様子に気づいた。彼女は肩を震わして泣いていた。
ふたつの小説に共通するもの
時代背景も文体も違う新旧二作の小説だが、共通する設定が3つある。ひとつは、主人公は顔を知らない縁遠い人の葬儀に何らかの義理があって出席している点。もうひとつは、その葬儀に出席することで、今は亡き自分と近しい人との思い出を蘇らせている点。そして最後に、実はこの2つの小説のラストシーンは共に、葬儀からの帰路で葬儀とは関係のない人物と交わした会話で終わっているということだ。
主人公たちは葬儀という非日常の空間で、日々の生活の中では強く意識されることない、記憶や意識の奥の感情を引き出されている。そして葬儀が終えて、彼らが日常に戻っていく様子を描いて終わっている。
フロイトの「喪の仕事」
精神分析の創始者として有名なフロイトは、人が死別などの喪失体験から立ち直るためには「喪の仕事(悲哀の仕事と訳されることもある)」と呼ばれる作業が必要であると言っている。これは、亡き人との別れを悲しむことの他に、人の心の奥底にある死者に対する怒りや恨み、罪悪感といったネガティブな感情も認識し、受け入れて感情が整理されていく過程であり、最終的には失われた愛や依存の対象を断念する作業と定義される。
「葬式の名人」では「私」は衰えゆく祖父に嫌悪を感じたことが描かれ、少年らしい意地から不安と悲しみを人に悟られないようにもした。「婚礼、葬礼、その他」のヨシノは、祖父母に何もしてやれなかったと悔いている。彼らは共に、心に深い傷を残したままの死別から数年を経て、やっと他人の葬儀の場をかりてこの「喪の仕事」を開始することができたようにみえる。
「婚礼、葬礼、その他」の登場人物のひとり、なつみの母親も同じだ。彼女は娘に頼むほど父親の為に泣く自信がなかったのに、なぜ泣いたのか。おそらく、長い年月の父親との関係を思い返したのだろう。葬儀の非日常感から普段押し殺していた恨みも愛情も甦り、彼女の最初の「喪の仕事」が開始された瞬間だったのだ。
断ち切るのではなく結び直す
<見出し5>断ち切るのではなく結び直す
フロイトの「喪の仕事」の考え方はその後の精神分析研究の中心のひとつとなり、現在は「喪の仕事」の解釈にも新しい側面が指摘されている。それは、フロイトのいうように故人への愛着を断ち切るだけではなく、死別に伴う罪悪感や償いたいという思いを確認し、死者との絆を結び直すというものだ。言い換えれば死者と私の関係を作り直し、死者の存在を心に感じながら共に生きていくための作業である。
川端、津村の両作品ともに葬儀終了後の場面で物語が終わるが、その余韻には大きな違いがある。川端の小説では主人公の「私」は、喪服を「お墓臭い」と言われてしまうような死の影の付き纏う孤独と自虐が感じられる終わりになっている。一方、津村の描くヨシノは、祖父母が生きていた日々が今でも自分の胸の中にあることを幸せだと思うに至っている。比べると津村の方は現代的な意味での「喪の作業」を完了できたことを想像させる結末を選んでいることがわかる。
葬儀という非日常から
小説の結末を分けたのは何だったのか。たった15歳で天涯孤独となって戦前戦後の過酷な時代を生きた川端にとって、喪失の哀しみを癒やすことは一度の「喪の仕事」で完了されるものではないのだろう。彼は繰り返し自身の少年から青年時代をモデルにした小説を書いているが、それは何度も何度も繰り返される川端の「喪の仕事」そのものだったのかもしれない。
しかし、昭和と平成のふたつの葬儀が舞台の小説は、共に心に固く閉じ込められたままの喪失感と向かい合う人を描いている点では同じである。葬儀という非日常の場は、その悲しみを閉じ込めた心を緩ませるきっかけとするにふさわしいのだろう。
参考文献
津村記久子 「婚礼、葬礼、その他」(2008)文芸春秋
川端康成 「葬式の名人」(1899)筑摩書房 ちくま日本文学026川端康成
小此木圭吾 「フロイト思想のキーワード」(2002)講談社 講談社現代新書Y820
山本 力 「死別と悲哀の概念と臨床」(1996)岡山県立大学保健福祉学部紀要 第3巻1号