高齢化によって「多死社会」という言葉が生まれた。あなたも身近な方の死に直面する機会が多くなったと感じてはいないだろうか。私個人の例で恐縮だが、古くからの友人の奥様のお父上がご病気で亡くなった。ガンで入院生活を送られていたのでその死自体はある程度予測することができたが、今度は葬儀を終えたその日に今度は何の前触れもなく友人自身が死んでしまった。急性の心臓麻痺だった。急逝の知らせを受けて駆けつけると途方に暮れる奥様が座っていた。
都市部では、火葬の予約は死後7日後なんてこともざら…
そんな中で彼女を悩ませていたのが火葬の予約だった。お父上の火葬の予定は4日待ちだったがご主人に至っては7日後だというのだ。もちろんその間はどこかで遺体を保管しておかなければならない。自宅では保冷のために数時間ごとにドライアイスを追加する作業をしなければならないが葬儀社でもそのための要員は手配できないのだという。となれば葬儀社で保冷機能の付いた遺体安置所に置かせてもらう以外にない。ところがその安置所もほぼ一杯だというのだ。
今回はお父様とご主人がほぼ同じタイミングになってしまったため葬儀社のほうでも事情をおもんばかって優先的に置かせてくれたので葬儀・火葬までの期間をなんとか乗り切ることができたが、最近の都市部ではこのような悩みが日常的になっている。
混み合う火葬場の現状
厚生労働省によると、東京都の2016年の死亡者数は約130万人で、この20年間で約40万人増えた。一方で火葬場は老朽化や統廃合などで減少し、この20年で半分近くに減っている。東京都の葬儀関係者によれば「都市部では火葬が追いつかない」のが現状だという。都市部では近隣の市町村でも火葬が間に合わず、当該地域の住民以外の火葬を受け付けない自治体もある。
火葬場数と反比例して増える遺体安置施設だが
戦後生まれの「団塊の世代」も次第に高齢となって多死社会に拍車をかけている。その一方で火葬場の問題が浮き彫りになってきたというわけだ。ある葬儀社では、火葬を待って遺体を約2週間預かった例もあるのだという。
そこですぐに火葬できない遺体を一時的に預かる「遺体安置施設」の利用が都市部で伸びている。火葬場の混雑などで火葬までの待ち時間が非常に長くなり遺体の保管に困る遺族が増えているためだ。
一方、このような施設は「迷惑施設」として近隣住民の反対で撤退に追い込まれた例もある。遺体を保管するということで近隣の住民にしてみればあまりいい気持ちがしないのは心情的に理解できるだけに難しい問題だ。
死は誰にでもやってくる避けられない宿命
それでも生き物である以上、誰にでも死はやってくる。自分が遺族側の立場になって初めて問題の深刻さに気づくというのではあまりにも場当たり的ではないだろうか。
ゴミの焼却場、火葬場、産業廃棄物の最終処分場など、建設計画ができると必ず反対運動が起きる。社会生活においてなくてはならないものなのだが自分の家の近くにできるのは嫌なのだ。どこか他の場所に作って欲しいという人がかならず現れる。しかし今の日本に誰にも迷惑がかからない場所などあるわけがない。
社会全体で負担を分担するという考えが大切
先日、中国が日本からのプラスチックごみの輸入を禁止する決定をした。従来、日本で出るプラスチックごみの約五割は国内で処分できずに中国へ輸出して処分していた。しかし中国政府も国内で高まる環境汚染問題で今後の受け入れを禁止することにした。これも問題の根は同じところにある。「(汚れ仕事は)自分以外の誰かがやればいい」という考えだ。
しかし今後このような考えでは行き詰まりが目に見えている。「誰かがやらなければいけない」ならみんなで分担してやらなければいけない。日本人ならそんな考えを受け入れられる心の余裕を持っているはずなのだから。
火葬場の建設は現実的に限界
本の自治体は少子高齢化や人口減少による税収の減少、「ふるさと納税」の影響によって都市部の自治体の財政は逼迫している。建設に伴う土地取得や反対運動などを考えれば急な火葬場の建設は現実的とはいえない。またその後、死亡者数も緩やかに減少してくることを考えれば火葬場のような恒久的な大型施設を建設するよりも短期間で転用が可能な遺体安置施設を民間で作るほうが現実的な解決策に思えるのだがあなたはどう思われるだろうか?